
真夏の香港は、高層ビルが立ち並ぶ近代的な顔とは別に、深い伝統と信仰が息づく特別な表情を見せます。旧暦7月、この街は「盂蘭勝會(Yu Lan Hung Faan / ユーランシングウイ)」、通称「盂蘭節(Yu Lan Jit / ユーランジット)」と呼ばれる、祖先や無縁仏・餓鬼たちを供養する仏教由来の祭りを迎えます。
特に、仮設劇場で上演される広東オペラなどの伝統芸能「神功戲(San Kung Hei / サンコンヘイ)」は、香港の盂蘭勝會を象徴する重要な要素です。
この記事では、香港の盂蘭勝會の背景から、その過ごし方、そしてこの神秘的な祭事を体験する旅行者へのヒントまで、詳しくご紹介いたします。
香港ではこの二つの行事が長年にわたって融合・習合しており、実際には仏教的な行事であっても「中元節」という呼び方が一般的に使われることがあります。そのため本記事でも、地域の実情に合わせて「中元節」「盂蘭節」「盂蘭勝會」という名称を状況に応じて使い分けています。
2025年、2026年、2027年の香港「中元節」開催日と盂蘭勝會の期間
香港の盂蘭勝會は、旧暦の7月15日が中心となります。この日を含む旧暦の7月全体が「鬼月(グワイユッ / 幽霊月)」と称され、地獄の門が開き、この世をさまよう亡者や餓鬼たちが現れると信じられています。
新暦では毎年日付が変動いたしますので、ご旅行の計画の際は以下の日程をご参照ください。
- 2025年8月7日(木)
- 2026年8月25日(火)
- 2027年8月15日(日)
香港の盂蘭勝會は、国民の祝日には指定されていませんが、主に香港の華人系住民の間で広く行われる重要な伝統行事です。特に各地域の広場や公園などでは、この期間中に様々な供養行事やイベントが開催され、街全体が独特の雰囲気に包まれます。
香港「中元節」:仏教的慈悲が根底にある盂蘭勝會と伝統芸能
香港の盂蘭勝會は、道教由来の「中元節」と共通する部分を持ちながらも、仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の思想が強く根底にあります。これは、地獄で苦しむ亡者や餓鬼を救済し、生者がその功徳を積むことで祖先を供養するという、より深い慈悲の心に基づいています。
この期間中、香港の街のいたるところで、以下のような光景が日常的に繰り広げられます。
1. 街角の供物と冥銭(紙銭)を燃やす儀式
香港の街を歩くと、商店の軒先や住宅の入り口、道路脇など、様々な場所に簡易的でありながらも心を込めた祭壇が設けられます。そこには、新鮮な果物、お菓子、飲料、調理された肉類などが並べられ、線香が静かに香りを放っています。
この祭事を特徴づけるのは、あの世で無縁仏や餓鬼たちが金銭に困らないようにと願って、冥銭(めいせん/紙銭)と呼ばれる紙製のお金や、紙製の家、車、宝石といった品々を、専用の金属製のバケツや簡易的な炉で丁寧に燃やす光景です。立ち上る煙と燃え盛る炎は、「盂蘭節」の期間中、香港の街に漂う象徴的な風景となります。

2. 「戲棚(ヘイプン)」に沸く伝統芸能「神功戲(サンコンヘイ)」
香港の盂蘭勝會で最も目を引くのは、なんといっても「戲棚(ヘイプン)」と呼ばれる仮設の竹製劇場が各地に建設され、そこで「神功戲(サンコンヘイ)」と呼ばれる伝統芸能(主に広東オペラ)が上演されることです。これらの公演は、神々や無縁仏・餓鬼たちを楽しませ、供養するための重要な儀式とされています。
神功戲は夜に開催されることが多く、豪華な衣装と化粧を施した演者たちが、伝統的な歌唱や演技を披露します。YouTubeなどで「神功戲 香港」で検索すると雰囲気をつかめます。 一般の観客も自由に観覧できますが、最前列の席は「“霊たち専用”の特等席とされ、誰も座ってはいけない」とされています。誤って座ってしまわないよう、注意が必要です。神功戲の会場は、地域の広場や空き地などに突如として現れ、祭りの期間中のみ運営されます。

3. 様々なタブーと注意点
香港でも、盂蘭節の期間中には、霊を刺激したり、不運を引き寄せたりしないための様々な迷信やタブーが存在します。旅行者の方々も、これらの習慣を少し意識するだけで、よりスムーズに、そして敬意をもってこの祭事を体験できるでしょう。
- 道端のお供え物を踏んだり蹴ったりしない:足元に気をつけ、うっかり供物に触れないよう配慮しましょう。
- 夜遅くまでの外出を控える:特に水辺(海)への接近は、霊に引きずり込まれるという迷信があるため、避けるのが賢明です。
- 夜間に洗濯物を外に干さない:霊が干された服をまとって家に侵入すると信じられています。
- 壁沿いを歩かない:霊が壁に寄り添って休んでいると信じられているため、避けるのが良いとされます。
- 道に落ちているお金を拾わない:霊の持ち物とされ、不運を招くと信じられます。
- 結婚式や引っ越しなど、大きなイベントは避ける:鬼月は「不吉な月」とされ、重要な節目は避ける傾向があります。
日本の「お盆」とアジアの「中元節」:その違いと興味深い共通点
日本で夏の風物詩として親しまれる「お盆」と、香港をはじめとするアジア各地で盛大に祝われる「中元節」および「盂蘭勝會」。これらの行事は、ご先祖様を供養するという点で共通していますが、その意味合いや習慣には、文化的な背景からくる大きな違いがあります。同時に、その根底には興味深い共通点も見出すことができます。
「中元」のルーツは道教の「三元」思想、「盂蘭盆」は仏教
まず、「中元節」の起源は古代中国の道教(どうきょう)にあり、道教の「三元」思想の一つである旧暦7月15日の「地官赦罪」に由来します。地官が地獄の門を開き、罪を犯した人々や餓鬼を赦す日とされたことが、ご先祖様やさまよえる無縁仏・餓鬼たちを供養する行事へと発展していきました。
一方、「盂蘭盆会」は仏教に由来し、お釈迦様の弟子である目連(もくれん)が、地獄で苦しむ亡き母を救うために行った供養が起源とされています。これにより、香港の盂蘭勝會は仏教色が非常に強いのが特徴です。
日本の「お盆」:祖先供養と感謝の期間
日本の「お盆」は、主に先祖の霊を家に迎え入れ、感謝を捧げ、供養する期間です。家族が集まり、墓参りや盆踊りなどを行います。
- 主な意味合い:祖先への感謝、家族の絆。
- 対象:祖先の霊。
- 主な行為:墓参り、精霊流し、盆踊り、お供え。
- 宗教性:仏教行事がベースだが、地域や家庭で習慣が異なる。
香港の「盂蘭勝會」:無縁仏・餓鬼たちへの慈悲と功徳を積む祭り
一方、香港における「盂蘭勝會」は、仏教の「盂蘭盆会」の思想を強く受け継いでいます。この期間は「鬼月(幽霊月)」と呼ばれ、地獄の門が開き、供養されず飢えに苦しむ亡者や餓鬼たちがこの世に解き放たれると信じられています。
そのため、この祭りの中心となるのは、ご先祖様だけでなく、見知らぬ無縁仏や餓鬼たちをも手厚く供養し、災いをもたらさないよう慈悲の心でもてなすという点です。街中に盛大なお供え物が並び、冥銭が燃やされ、そして「戲棚(ヘイプン)」で伝統芸能「神功戲(サンコンヘイ)」が上演されるのは、この「餓鬼の救済」と「功徳を積む」という、より深い宗教的意味合いに基づいています。
他アジア地域(台湾・シンガポール・中国本土)との比較
香港の「盂蘭勝會」は、仏教の影響が色濃い点が特徴的です。大規模な仮設劇場「戲棚」で広東オペラなどの伝統劇「神功戲」が上演されるのも、その顕著な例です。
台湾やシンガポールの「中元節」は、道教の影響が強く、大規模な供養、冥銭の燃焼、「歌台(ゲタイ)」や「歌仔戯(カツアヒ)」といった歌謡ショーが中心となります。特にシンガポールの「歌台」は賑やかさで知られます。
また、中国本土の「中元節」は、そのルーツではあるものの、過去の文化大革命などの歴史的経緯や社会主義体制、急速な都市化の影響により、香港や台湾、シンガポールで見られるような公共の場での大規模な伝統芸能の開催は控えめであり、より私的な供養が中心となる傾向が見られます。
このように、「中元」や「盂蘭盆」という共通のルーツを持ちながらも、アジアの各地域ではその発展の仕方が大きく異なり、それぞれの文化や信仰が色濃く反映されているのです。
香港「中元節」体験:旅のヒント&アイデア
香港の盂蘭勝會は、モダンな都市の顔とは対照的に、脈々と受け継がれる仏教文化の深さ、そして祖先や無縁仏・餓鬼たちへの慈悲を感じられる特別な時間です。この時期に香港を訪れる際は、ぜひ以下のヒントを参考に、特別な体験をしてみましょう。
- 街の息吹を感じる散策:香港島や九龍のローカルな地区、市場の周辺などを歩き、人々がお供え物をしたり、冥銭を燃やしたりする日常の光景を注意深く観察してみましょう。特に夕方以降は、その雰囲気が一層濃くなります。
- 「戲棚(ヘイプン)」を探してみる:地域の広場や空き地に突如として現れる竹製の仮設劇場「戲棚」を見つけたら、少し離れた場所からでもその独特のエネルギーと華やかさを感じてみてください。ただし、最前列の「霊専用席」には決して座らないようご注意を。
- 主要な寺院を訪ねる:盂蘭勝會の期間中、多くの仏教寺院や道教寺院では、特別な供養の儀式が執り行われます。普段とは異なる厳かで神秘的な雰囲気を体験できるかもしれません。例えば、黄大仙廟や文武廟などが有名ですし、特に観光客がよく訪れる文武廟においては、盂蘭節の供養の風景はやや控えめながら、線香の煙が立ちこめる中で静かに祈りを捧げる地元民の姿に、祭りの精神がにじみ出ているのを感じられるでしょう。
- 現地のマナーを尊重する:盂蘭勝會は、香港にとって非常に神聖な行事です。供物や儀式に対しては常に敬意を払い、写真撮影の際は必ず人々の感情やプライバシーに配慮することを忘れないようにしましょう。

黄大仙廟(Wong Tai Sin Temple)の基本情報
香港の黄大仙廟(ウォンタイシンミウ/Wong Tai Sin Temple)は、道教、仏教、儒教の三教を祀る、香港で最も有名な寺院の一つです。願い事が叶うと信じられており、普段から多くの参拝者が訪れますが、盂蘭節の期間中も供養のために多くの人々が訪れます。
- 名称
- 日本語表記:黄大仙廟(ウォンタイシンミウ)
- 英語表記:Wong Tai Sin Temple
- 現地の言葉による表記:黃大仙祠 (Wong4 Daai6 Sin1 Ci4)
- 住所
- Chuk Yuen Rd, Wong Tai Sin, Hong Kong
- アクセス
- MTR:最寄駅「黄大仙駅(Wong Tai Sin Station)」 (観塘線/Kwun Tong Line)。B2出口直結。
- 電話番号
- +852 2327 8141
- 開門時間
- 毎日 7:30~16:30(殿内への参拝時間、敷地はもう少し長く開いている場合があります)
- ※特別な行事や祭事の際は開門時間が変更になる場合があります。
- 入場
- 無料(一部の殿内への入場や、おみくじの場所などは有料の場合あり)
- 公式サイト
- 嗇色園黄大仙祠
- 嗇色園黃大仙祠 Sik Sik Yuen Wong Tai Sin Temple
黄大仙廟(Wong Tai Sin Temple)の詳細地図
文武廟(Man Mo Temple)の基本情報
香港島の上環(ションワン)に位置する文武廟(マンモウミュウ/Man Mo Temple)は、文学の神「文昌帝(マンチョンダイ)」と武術の神「関帝(クワンダイ)」を祀る、歴史ある道教寺院です。その独特の雰囲気と、天井から吊るされた巨大な渦巻き線香が有名で、盂蘭節の時期も静かに供養に訪れる人がいます。特に観光客がよく訪れる文武廟においては、盂蘭節の供養の風景はやや控えめながら、線香の煙が立ちこめる中で静かに祈りを捧げる地元民の姿に、祭りの精神がにじみ出ているのを感じられるでしょう。
- 名称
- 日本語表記:文武廟(マンモウミュウ)
- 英語表記:Man Mo Temple
- 現地の言葉による表記:文武廟 (Man4 Mou2 Miu6)
- 住所
- Man Mo Temple, Hollywood Rd, Sheung Wan, Hong Kong
- アクセス
-
MTR:最寄駅「上環駅(Sheung Wan Station)」 (港島線/Island Line)。A2出口から徒歩約10〜15分。
トラム:上環方面のトラムで「文武廟」バス停下車。 - 電話番号
- +852 2540 0350
- 開門時間
- 毎日 8:00~18:00
- ※特別な行事や祭事の際は開門時間が変更になる場合があります。
- 入場
- 無料
- 公式サイト
- 特定の公式ウェブサイトはありませんが、香港観光局などのサイトで情報が確認できます。
- Man Mo Temple 文武廟
文武廟(Man Mo Temple)の詳細地図
「盂蘭勝會(Yu Lan Hung Faan)」の概要
- 名称
- 日本語表記:盂蘭勝會(ユーランシングウイ)/盂蘭節(ユーランジット)
- 英語表記:Yu Lan Hung Faan / Yu Lan Festival / Hungry Ghost Festival
- 現地の言葉による表記:盂蘭勝會 (Yu4 Laan4 Sing3 Wui2) / 盂蘭節 (Yu4 Laan4 Zit3)
- 入場
- 無料(祭りの各イベントや「戲棚」での伝統芸能観覧は基本的に無料です。)
- 公式サイト
- 特定の公式イベントサイトはありませんが、香港政府観光局の公式サイトなどで文化に関する情報が掲載されることがあります。
香港政府観光局(日本語) - Discover Hong Kong
- Discover Hong Kong
- X (旧Twitter)
- Discover Hong Kong
- YouTube
- Discover Hong Kong
「盂蘭勝會(Yu Lan Hung Faan)」の詳細地図
よくある質問:Q&A
- Q. 写真を撮っても大丈夫?
A. 公共の場での撮影は可能ですが、儀式や供物に対しては敬意を持ち、距離を保ちましょう。特に、人物が写る場合は必ず許可を取るか、顔が特定できないように配慮しましょう。また、「戲棚」での神功戲の撮影は、公演の妨げにならないよう注意し、事前に確認できる場合は撮影ルールを確認しましょう。 - Q. 「戲棚」はどこで見られる?
A. 「戲棚」は、香港各地の広場や公園、空き地などに突如として建設されます。固定の場所はありませんが、事前に香港政府観光局のイベント情報や、地元のニュースなどで開催情報が発表されることがあります。 - Q. 香港の中元節と台湾の中元節の違いは?
A. 香港の「盂蘭勝會」は仏教の「盂蘭盆会」の影響が非常に強く、特に「戲棚」での伝統芸能「神功戲」の上演が大きな特徴です。一方、台湾やシンガポールの中元節は道教の影響が強く、歌謡ショー(歌台や歌仔戯)が中心となる傾向があります。どちらも冥銭を燃やすなどの供養は共通していますが、祭りの雰囲気やハイライトが異なります。 - Q. 冥銭を燃やしている場面を見かけたら、どうすればいい?
A. 驚かず、静かにその場を離れるか、遠巻きに見守りましょう。冥銭を燃やす行為は供養と功徳を積むための重要な儀式です。煙や灰が舞うこともあるため、距離をとって見学するのがマナーです。写真撮影をする際は必ず周囲の様子を見て、できれば事前に現地の方に許可を取りましょう。
香港の「盂蘭勝會」は、モダンな都市の顔とは対照的に、脈々と受け継がれる仏教文化の深さ、そして祖先や無縁仏・餓鬼たちへの慈悲を感じられる特別な時間です。この時期に香港を訪れる際は、ぜひその荘厳な供養の祭典と、そこに込められた人々の温かい信仰心を肌で感じてみてください。きっと忘れられない、ユニークな旅の思い出となることでしょう。